2014年1月5日日曜日

花子グランバァバ1周忌

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今日は、花子グランバァバの1周忌ということで、伊丹に行く。
花子グランバァバの思い出としては、
豆腐入りカレーとか、おからのサラダとか、豆腐料理のフルコースしか思い出すことができない。
あとは、豆腐を作るところが見たくて、早起きしようと努力するが、起きれた試しがない。
いまは、結構普通に4時とか5時とかに起きれるんだけどなぁ。
ほぼ初孫で、かわいがられたはずなのだが、さっぱり覚えていない。
聞いたところによると産湯につけてもらったらしい。もちろんさっぱり覚えていない。

つらいこと とか 悲しいことはよく覚えている
たとえば、高槻の森林センターになぜか歩いていって、採石場あたりで歩くことに疲れて、だっこしてくれとかごねたら、
置き去りにされたことや
誰かの厄年のご祈祷のため、京都の八幡神社にとても寒い中、自転車(ボクが自転車を漕ぐ)で行って、
涙まで凍りそうになったことや
サンタさんがボクのお願いを無視して、なぜかデスクライトをくれたこと、デスクライトは靴下に入らないから
なぜか押し入れに突っ込まれたいたこと。
おそらく楽しかったこと や うれしかったことはあまり覚えないようにできていないようだ。

したがって、この資質が遺伝しているとすれば、多聞くんには、もっとしっかり泣いてもらう必要があるだろう。

今回は、インフルエンザにかかった人がいたため子供達の出動は見合わせて大人だけが出席。
とても長いお経だったが、初めのお経は 釈迦の十大弟子から始まるお経だった。
その次に、「如是我聞(儒教の子曰くと同じく、私はこのように聞いたという接頭語)」がちりばめられたお経らしいお経。
最期に親鸞上人か誰かの日記のようなお経、最期が、「あなかしこ、あなかしこ」で終わるようなお経だった。
たぶん、ありがたいお経なんだろうけれど、特に説教もなく、読経を芸術的にこなすお坊さんであった。

その後、お食事会をした。ぼくは他の嫁さんと勘違いした会話をしたり、結構、めちゃくちゃだった。
まぁいつものことだから、まぁいいか。
いつもと違う人と話すのは楽しい。

豊中に帰ると、多聞くんとレイナちゃんが外に出て待っていた。
まいかちゃんが多聞くんの持っていたボールを奪って走り出すと、多聞くんが涙を流しながら追いかける。
あとで、この状況を再現すべく、ボクがボールを持って、たもんくんが追いかけるようしむけるが
まいかちゃんのように、本気で泣くような状況にはならなかった。
もっと無慈悲で容赦なく、追いかけさせないと多聞くんの記憶に刻まれることはないだろう。
来週は無慈悲で容赦なくがんばっていきたい。

2014 01 05 01

そういう方向で。

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