2014年1月29日水曜日
今朝の本:逆説の日本史7:魔王、足利義教(よしのり)
同じことをしていても怒られる子供と怒られない子供がいる。
ボクは、もちろん後者の「なぜか怒られない子供」だった。
要領がいいのか、運がいいのか、よくわからないが、ずっとそういう感じだった。
歴史上の人物でも同じことをしているのに、すごく評価される人と全く評価されない人がいる。
それが、足利義教(よしのり)だというのだ。
ボクがなんで、ほとんど室町幕府のことを知らないのかと言えば、司馬遼太郎と吉川英治が書いていないからということに気づく。
ボクは理系なんで、大学受験の勉強として日本史は勉強していない。
どこで日本史の知識を仕入れていたかというと主に小説。
だいたい司馬遼太郎と吉川英治を軸として、その時々の売れ筋小説となる。
それらに室町時代を題材にした小説は皆無で、取り上げたとしても南北朝時代ぐらいとなるため、全く知らない。
で、初めてこの時代の話に触れると言っても過言ではない状況なのだが、今回取り上げられる足利義教は、織田信長がその施策をパクったのではないかと思われるほど類似点が多い。
まずは、比叡山焼き討ち。自身は、天台座主ということで、一番えらかったにもかかわらず自分の旧勢力と対峙し結果的に比叡山を焼いてしまう。信長が、一番始めに焼いたわけではないのだ。
そして、腹心に暗殺される。足利義教の最期は、なんと腹心に暗殺されてしまうのだ。こんなところまで似てなくていいものを…
改革者、天魔王としては、足利義教の方が100年以上も先行しているにもかかわらず、人気とか知名度の点では、雲泥の差がついている。為政者としての大きな目的は「下々が困窮しないように平和の社会の実現」になる。
是を実現するためには、道徳的正しさは必要なく、時には非道を貫かなければならない。
その辺りが、魔王と呼ばれる所以なんだろう。
ちなみに、この人は、くじ引きで選ばれた将軍だったりする。
当時の くじ引きは神託そのもので、自分は「選ばれし男」という自負があったため、大胆な施策を実行できたのかもしれない。
いまなら、馬鹿にされることこの上ないだろうけれど。
WikiPedia によるとこのように足利義教を高く評価しているのは、「逆説の日本史」の著者である井沢元彦のみのようだ。
もひとつちなみに、将軍の前にやっていた青蓮院門跡は、最近、株の取引で大きく儲けたらしい。
そういう方向で
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