2015年8月20日木曜日
「火花 又吉直樹」読み終わる
値段分の価値、いや値段以上の価値をいただいた良い本でした。
他の人はどう評価しているのか見てみると、アマゾンでは
「正直期待外れ」
「お笑い芸人にも純文学にも興味がないときつい」
「衰退業界の利害が一致した産物では」
などというかなり厳しい評価も下されているようで
評価が分かれている。
僕は、お笑いに興味があるかといえば、テレビをほとんど見ないため、この小説の主人公や師匠が目指した「テレビに出る」という目標を達成した芸人さえよく知らない。
純文学に興味があるかといえば、「純文学とは何か?」を説明するとしたら
「誰も殺されないし、何も解決しないし、誰も幸せにならない小説。
しかし、誰かの言動や取るに足らない行動の表現、どうでもいい比喩の隅々に
”なるほどなぁ” とか、”んなアホな” みたいなことを なぜか勝手に考えて消化してしまう。」
ぐらいだろう。
ヤフー知恵袋では、
純文学は、自己世界の表現、大衆文学は、他者世界への言葉
ということでまとめられていた。
これはこれで、自己世界を表現した時点で、外にベクトルが向くので、他者世界への言葉 とどうちがうねん!
とツッコミを入れてしまいたくなってしまうんで、この表現も難しい。
なんでもカテゴリーに分けたり、細かく分けて考える科学的思考のダークサイドが露呈している。
他のサイトの説明では、
大衆に媚びる ー> 大衆文学
大衆に媚びない -> 純文学
これはかなりしっくりくる説明だ。
これなら、アマゾンの低評価も納得できる。
文学だけ、大衆と純にわけるのは不自然なので、あらゆるものを大衆と純にわけるのが妥当だと考える。
例えば、この本の主題である漫才でも
大衆漫才と純漫才にわける。
すると、神谷さんは純漫才に所属する天才漫才師として、生を全うできるに違いない。
野球も大衆野球と純野球にわけると、松井の全打席敬遠とかも大衆野球としては間違ってはいるが、勝つための純野球としては正しいプレーとなる。
にしても、サッカーで大阪選抜、お笑い芸人としてもテレビにで、小説も書ける ってだけでも凄すぎる。
こんななんでも簡単に手に入る時代に、スポーツだけとか、音楽だけやってた だけではダメな時代に突入している
そういう方向で。
火花 - 読書メーター
http://bookmeter.com/b/4163902309
火花 - amazon
http://www.amazon.co.jp/%E7%81%AB%E8%8A%B1-%E5%8F%88%E5%90%89-%E7%9B%B4%E6%A8%B9/dp/4163902309
ヤフー知恵袋 純文学と大衆文学の違いは?
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1010935660
僕が同じ芥川賞の「共食い」を読んだ感想
http://typezeek.blogspot.jp/2013/06/blog-post_10.html
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