2015年8月18日火曜日
火花 を途中まで読む。
今話題の、「火花」を半分ぐらい読む。
帯には
「奇想の天才である一方で人間味あふれる神谷、彼を慕う後輩徳永。笑の真髄について議論しながら、それぞれの道を歩んでいる」
と書いてあるが、
実際のところ、少々理屈ぽくて芸術家肌の神谷、彼を天才だと思い込んでいる後輩徳永。
だと思った。
「笑い」について議論しているけれど、「仕事」でも「テニス」でも「ダイエット」でも「笑い」以外のピースも当てはめることが可能なところが、芥川賞なんやろなぁ と感じる。
例えば
「漫才師である以上、面白い漫才をすることが絶対的な使命であることは当然であって、あらゆる行動は全て漫才のためにあるねん。
だから、お前の行動は全てすでに漫才の一部やねん。
漫才は面白いことを想像できる人のものではなく、偽りのない銃声の姿をさらすもんやねん。
つまり賢い、にはできひんくて、本物のアホと自分で全うであると信じているアホによってのみ実現できるもんやねん。」
というふうに、「漫才」の部分は、「仕事」や「パチンコ」、「乞食」でも置き換えることは可能。
しかし、このステージでは、自分が漫才師であることを意識しているので、禅における十牛図、 4:得牛、か5:牧牛あたりのステージと言える。
「漫才」とか「パチンコ」、「仕事」を忘れるぐらいじゃないと漫才仙人にはなれない。
最終的に、この理屈ぽくて芸術家肌の神谷は、十牛図の6とか7に進むのか?
進んだら進んだで、「漫才」のことは、忘れてしまうので、その状態をどう表現するのか?
興味が尽きない一冊。
しかも、理屈ぽいけど、それなりに読みやすい。
「火花」って題名は、芸術家肌の先輩に憧れる後輩のグループ名、スパークルからきているように思うけれど、
これが重要なんだろうか?
そういう方向で。
【WikiPedia】十牛図
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8D%81%E7%89%9B%E5%9B%B3
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