今朝の読書は、やっぱり逆説の日本史8。
今日は山城国一揆の要求内容について読む。
応仁の乱は終わったにもかかわらず、畠山氏の内部抗争のため山城の国は戦場になり農民達は疲弊していった。
農民達は、自治を要求し一致団結、8年ほど自治が続く。
しかし、その共産主義的取り組みは8年で崩壊。
守護大名が置かれる通常の国になる。
井沢元彦氏の見解によると、
これは 国を作ってみたものの 明確な目的がないこと、リーダーが三十六人衆という多数おり、意思を統一できなかったことが大きいと考えられる。
とのこと。
会社でも学校でも家庭でも組織と呼ばれるものにおいては、同じことが言えるのではないかと思った。
たとえ金があったとしても、目的がなく、リーダーシップがなければ、いずれ崩壊する。
で、この山城国一揆で要求したことが、私設関所の全廃。
当時は、政府以外にも寺社や地域の権力者が勝手に関所を作り運送費より関所を通る際に払う費用の方が高い状態になっていた。
それを改善するために、織田信長は楽市楽座をして領内の経済を活性化する。
武田勝頼は、楽市楽座するほどの先進性を持ち合わせていないため、領内の経済は織田領内に比べると停滞気味。
金は持っていないくせに、戦争をしたがるから無理な増税を行うことになり、さらに経済は悪化。
戦争のやり方以外にも領内運営にも問題があったので、長篠の戦いで負けるべくして負けた。
しかし、あまりにもフリーダムにすることで、明智光秀の反乱を防ぐことができなかった。
織田信長の最期を目にしていた、家康は、関所をある程度強化することにした。
また、どんだけ実力があっても新参者は信用できないということで、譜代大名と外様大名をきっちりわけることにした。
徳川家康も始めから古狸とか言われるようなブラックな徳川家康ではなく、色々な経験をもとにあの人物像を造ったことがわかる。
正直、いままで徳川家康が嫌いだったけれど、戦国時代という時代の総決算として彼がいる。
好きとか嫌いとか、そういう問題ではないことがわかり始めた。
人が時代をつくるように、時代が人を作る。
そういう方向で。
0 件のコメント:
コメントを投稿