今日も朝から逆説の日本史を読む。
現在、持っているのは、この16までなので、17以降をどうにかしなければならないが、
古本屋にいっても置いていない。
昔、よく見たような気がしたが、気のせいか?
ちなみに、街の本屋には、19巻がよくある。20巻まで刊行されているようだが、なぜ19巻なのかは不明。
かなりの超大作のため、amazonでも10巻以降は、古本でも高くなる。
ずっと読み続ける人はあまりいないらしい。
ディアゴスティーニとかの週間なんとか と同じく1巻とか2巻は、それなりに売れるけれど、それ以降はあまり売れないのだろう。
20巻とかになると、もう全然売れないに違いない。
それはおいといて、名君編とのこと。
ボクが学校に行ってたころの教科書には、名君とされていた 徳川吉宗や松平定信は、経済感覚が儒教的で経済の衰退を招く政策しかうちだせなかったアホと位置づけられていた。
反対に、教科書では暴君として扱われていた、徳川綱吉は、日本人の価値観を帰ることに成功した名君。人を殺すのをなんともおもわない社会から、命を大切にする社会に一代で変えることに成功。
その際に、劇薬・生類憐みの令を出したために当時の人々の怨嗟の声が残られることになり、その資料をそのまま読むと暴君となってしまったかわいそうな人。
現代でも 褒める時は大きな声で、けなすとき、クレームを言う時はもっと大きな声で という社会常識あるので、そういったことを差し引いて資料を読む必要が有るように思えた。
吉宗がアホで、綱吉が名君なら、代表的名君はだれなん?
ということになり、水戸光圀公と上杉鷹山公が登場。
ともに儒教、朱子学の影響を受けているが、日本なりに朱子学を解釈し、君子機関説に至る。
君子は民のために存在し、君子のわがままを実行するために存在するわけではないと朱子学の第一原理に反するような結論を見出して、その原理を実行に移す。
上杉鷹山の場合は、その改革の際に多少の血が流れることになるけれど、結果的に改革は成功。
しかし、改革が成功したばっかりに幕末に米沢藩は幕府側についてしまい、同じ関ヶ原負け組の長州、薩摩とは違う道を歩み、負け組となってしまう。
歴史とは、面白い物である。
そういう方向で。
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