2014年5月21日水曜日

逆説の日本史15 近世改革編 松平定信

今日も朝から逆説の日本史。
今回は松平定信がフューチャーされている。ほとんど批判でしめられる評価となっており、松平定信がちょっとかわいそうになってくるぐらい。松平定信が、田沼意次の路線を継承していたら江戸幕府は存続し、討幕運動なんて起こらなかっただろうまで言われている。

では、なぜ松平定信が間違った政治路線を取ってしまったかと言えば、彼の思想の中心が儒教、特に朱子学の影響を強く受けているため、商業を軽視し、外国を夷狄としか見なしておらず鎖国政策をさらに強化したり、本人の信じるところでは正義を行使していたにすぎないのだが、後々から考えると明らかに間違った政策を押し進める。
ボクの記憶では、江戸幕府の三大改革の一つに数えられる なんちゃらの改革を主導した名君だったはずなんだけどなぁ…

農業とかモノ作り重視の考え方というのは、今も日本人の心をとらえて放さないようで、家康が種をまき、徳川吉宗公や松平定信公が育てた考え方は、いまにもつながっている。

定信は、人材登用の手段として初めて試験を行った人らしく、現在の高校生や大学生、資格試験に悩む人々の悩みの種をつくった人ともいえる。
試験と言っても状況に応じた判断力を試す物ではなく、本を読んで内容を再現できるかどうかを問う記憶力を試す物のようなので、仕事や実務をする上では、関係ないとまでは断定できないが、足りていないことは間違いない。

このころに、長谷川平蔵こと鬼平がいたらしいので、次は鬼平を読んでみるかな。
そして松平定信は、鬼平の上司で、鬼平が具申して 人足足場(罪人の更生施設)を作ることを許可したらしい。
こういった更生施設は、ヨーロッパの100年ぐらい早いらしく人道的見地から言うと、日本はかなりの先進国だったらしい。さすが鬼平!

そういう方向で。

【WikiPedia】長谷川宣以(平蔵)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%95%B7%E8%B0%B7%E5%B7%9D%E5%AE%A3%E4%BB%A5

0 件のコメント: