2016年2月23日火曜日

若冲 〜沢田瞳子



若冲という本を読む。
若冲というのは、苗字が瀬戸内だったりして、寂聴のお弟子さん。
というわけでもなく、江戸時代の京都で活躍した日本画家。
独特の画風で、2000年代に入って大人気となっている。
同じ時代に、円山応挙、池大雅、与謝蕪村などがいいて、結構華やかな時代の空気を吸って生きていた。
同志社大学の裏にある相国寺と関係が深く、明治維新の際の廃仏毀釈を乗り切るため、相国寺は皇室に若冲の絵を売って乗り切ったという話もある。

ぼくも、若冲のお茶目さが好きで、何回か絵を見に行った。
ちょっとぶっ飛んでいる感じがなかなかよい。
中でも野菜涅槃図は、野菜なのになぜか悲しげで、何にも知らなくてもたのしむことができる絵だ。

そんなこんなで、若冲のことをたまにWikipedia でみていたのだけれども、ほとんど情報がなく、どんな人がさっぱりわからなかった。この本では、今ある資料をもとにストーリーを膨らませ、ある程度の人物像を作っている。
ぼくが思っている人物像よりは、はるかにまともで普通の人間として描かれていた。
あんまり踏み外すと物語のリアリティーが損なわれるので、線引きが難しい。
ぼくとしては少々残念だったが、この人物像はアリだ。

この本を読んでよかったのは、絵を描いた時系列がよくわかったこと。
あの絵は、若い時に書いたんだ。とか
ドット絵のはしりである升目描きは、晩年の作品だったんだ。とかがよくわかってよかった。
最終到達点が、升目描きというのは、わからないでもない。
手か目に普通の絵が描けない障害が発生したのかもしれないとか思っていたけれど、この本の解釈では違っていた。

この本では、円山応挙が人のために絵を描いて、伊藤若冲が自分のために絵を描いていた。
これは大多数の人の仕事のアプローチに適用できる。
あまり人のために絵を描いていると、自己主張がなくなり、絵(仕事)が面白く無くなる。
かといって自己主張ばかりだと、誰も見向きし無くなるオナニー的な絵(仕事)になる。
まったく100% 人のため、自分のため と割り切ることができないのだろうけれど、
どっちに比重を置くのかが自分のキャラクターになる。

もちろんぼくは、自己主張が強い伊藤若冲になりたいと願っている。しかし、実際はそういうわけではない。
そして何より伊藤若冲の絵と円山応挙の絵をどっちか買わなければならないのであれば円山応挙の絵を買う。

そういう方向で。

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