2015年9月9日水曜日
赤毛のアン をほとんど読む
赤毛のアンを クィーン学院で奨学金を獲得して、教員の免状を取るぐらいまでを読む。
前半は、アンの失敗談とかがたくさん載っていて、それなりに楽しかったけれど
少女から大人になる過程で、そのような失敗をしない用心深さを身につけたようで
あまり失敗しないようになる。
それでいて、一生懸命勉強して、結果もついてきたりして、浅田次郎的な予定調和の匂いがする。
勉強しているつもりで(今から思うと効率が悪かった)結果がついてこなかった僕とは大きな隔たりを感じた。
結果がでなかった際の苦悩などを描いてくれるとそれなりにアンに入れ込むこともできたのだろうけれど、
特にシンパシーも感じることなく淡々と読んでいる。
とはいいつつアンがすごいと思うこともあったりする。
アンは、夢想家でいろいろ想像を巡らしているのだろうけれど、どんなに絶望的な状況でもさらにネガティブな状況に陥る想像はしなかったり、あまり人の悪い点を想像しなかったりする。
一度悪口を言われて、嫌いになり、名前を口にすることなくなったギルバート君に関しては、無視するという対応で、悪く言うようなことはない。
この辺りは学ぶべきところなのかもしれない。
いやだったら、足を引っ張るのではなく、存在を無視したほうが、生きて行く上ではいいのだろう。
悪口は日記ぐらいに止めて、ポリアンナの「良かった探し」をしたほうが、楽に生きることができる。
ポリアンナのはるか前の世界名作劇場だけど、赤毛のアンにも「良かった探し」をする傾向がある。
ちなみに、ギルバート君とは最終的に結婚するらしいので、どういう過程を経て、そんなことになるのかさっぱり想像できない。
Wikipediaによると、もうすぐギルバートも劇的な関係改善を図るらしい。
一応、接触したいけれど、今まで無視していたためその状況を継続しなければならない もどかしさらしきものを挟んできて、それらしい雰囲気を匂わせている。
ちなみに、マシューは、逝ってしまう。
預金を全部預けていた銀行が潰れたから、死ぬ
みたいなことが Wikipedia に書かれていたが、その前から体の調子が悪く、いつ逝ってもおかしくない状況で、最終的に引き金を引いたのが、自分の財産をすべて預けていた銀行の破産の記事が書かれた新聞を読んだ時 だっただけのことだった。
銀行の破産以外の衝撃的な出来事があったらいつでも死んだことだろう。
資産は一点集中ではなく分散したほうがいい ということをマシューは教えてくれている。
ちなみに
赤毛のアンの原書名は「Anne of Green Gables」
直訳したなら、「グリーンゲイブルスのアン」
次の「アンの青春」の原書名は、「Anne of Avonlea」
直訳したなら、「アヴォンリーのアン」
その次の「アンの愛情」の原書名は、「Anne of the Island」
直訳したなら「なんかの島(おそらく無人島に遭難した模様、多分南の島のフローネのような話に違いない)のアン」
とかなっていて、アンが主に過ごした地域の名前になっているようだ。
赤毛とか愛情とか青春とかは、村岡花子が勝手につけたらしい。
村岡花子は思い切った訳をしているらしいことが、本の題名からもよく分かる。
村岡花子は、アンの興味について題名にして、
モンゴメリは、アンの過ごした地域を題名にする。
半分創作といっても過言ではない違い。
パクリやコピペが当たり前な21世紀においては、理解しがたい翻訳。
原書に忠実にやれば、こんな題名にする必要は全くないのに何考えているのか村岡花子。
「アンと花子」も興味が出てきた。
翻訳家はコンピューターでは代替できないかもしれない。
そういう方向で。
【Wikipedia】赤毛のアン
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%B5%A4%E6%AF%9B%E3%81%AE%E3%82%A2%E3%83%B3
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