赤毛のアンをよんでいると
おばさん(実は独身)が大事にしていた紫水晶のブローチがなくなる。
このマリラ・おばさんは、アンを疑う。
アンは、触ったことは触ったけれど、元に戻しておいた とのこと。
マリラ・おばさんは、嘘をついていると感じて、アンを監禁。
その後、ひょっこりと見つかり、どっちも悪いことが発覚。
とかいうエピソードが出てきた。
よくある話だけど、嘘つけるかどうか微妙な年頃で、あんまり疑っても仕方がないという教訓めいたものを例示しているようにも見える。
こんなことを考えると、ぼくはアン目線ではなくで、マリラ・おばさん目線とか、マシュー・おじさん(マリラの兄貴、実は独身)目線で読んでいるような気がした。
ぼくは、たぶん赤毛のアンを育児書として読んでいる。
もしかしたら、子どもの頃読んでいたら、だれにも共感できないので、途中で読むのをやめたことだろう。
そういう意味では、茂木先生は、なんで子どもの頃に読んで、座右の銘になったのか、さっぱりわからない。
茂木先生の解説本も読んでみた方がよさそうな気分になってきた。
ちなみに、父親ぽい人と母親ぽい人がでてくるけれど、実は二人は兄妹で独身。
子育て経験はない という今の基準から言っても変わった人たちだったりする。
そういう方向で。
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