その昔、読書感想文の宿題が出ていたような気がする。
あまり苦労した記憶はなく、どんな内容でも、なにかしら文字が書かれて文章になっていたら、宿題は受領され、それなりに評価される。
どう書いたらいいのか、何を書くのか、そもそも誰向けに書いているのか、そういったことは、全然教えてもらえず、課題図書のリストと、原稿用紙の枚数や文字数だけが指定されていた。
書評は、本を売るための文章で、書評の目的は、書評した本を買ってもらうこと。
したがってネタバレなんてもってのほか。
もちろん、批判的な内容を盛り込むのもご法度。
読書感想文は、本を買ってもらうための文章ではないので、基本的には、ネタバレ、批判なんでもあり。
対象読者は、誰なのか考えてみた。
先生 かと思ったが、そうではない。
対象読者は、未来の自分のように思える。
よっぽど印象深い本以外は、内容を覚えていることは稀。
したがって、未来の自分に向かって、この本を通して何を学んだかを書くというのが、
ぼくが考える読書感想文のあり方のようにおもえる。
だから、別に、絵本でも、写真集でも、図鑑でも学ぶことあるのであれば、読書感想文はかける。
自分の考え方、知識、行動、価値観を変えるきっかけになった箇所を引用して、
Beforeの考え方、知識、行動、価値観 と
Afterの考え方、知識、行動、価値観 を箇条書きで書き出し、
それを日本語の文章にしていくという作業がメインになる。
これに、なんでこの本を読もうと思ったのか が書けたら、さらによい。
小説などの場合には、簡単なあらすじがあれば、いい。
要約する能力というのは、人間にしかできないことなので、できれば鍛えていったほうがよい。
めんどくさい人は、インターネット上によくあるあらすじのコピペでもいいかもしれない。
http://readingmonkey.blog45.fc2.com/blog-entry-512.html
によると、登場人物ごとに、自分ならどうするかの比較表を作成するという方法も提示されている。
ともに、いきなり書き始めることは、不可能で、下準備をしてからではないと書けない。
昔の自分は、いきなり書いていたように思う。
どんな文章を書いていたのかは、全く覚えていないが。
そういう方向で。
2015年1月7日水曜日
今日のMJ:無休がいいとは限らない
今日のMJでの注目記事は
一番最後に乗っている 小阪裕司氏のコラム 招客招福の法則
題名は「無休がいいとは限らない」
ある地方スーパーが、
「食品スーパーは地域の冷蔵庫である」という経営方針のもと、
いつでも買いに来てもらうよう年中無休にしていたけれど、
「お客様の心の豊かさ提供するスーパーになる」
という経営方針に変更し、最大限の幸せを提供するため
従来の無休営業をやめ、営業時間を短縮し、様々な取り組みを続けた結果、お客様の支持され
業績好調とのこと。
自分のミッションが何かを見極めることによって、
周りの人はもちろん、自分もハッピーになる可能性があるというのは面白い。
さらに言うと、業績好調ということで、決算書の数字もよくなっているというのは、数字を重視する合理主義的経営者にも受け入れやすい結果。
この施策を考慮して、
スーパーは、とりあえず、正月三箇日ぐらい、休んでいないスーパーの経営者は、問題があると考えられるであろう。
人口減を迎えるにあたって、どういう目標、経営方針が適切なのか考え直す時期に来ている。
人をこれ以上増やすことは難しくなり、人の数に頼ったマネージメントだと すきやのような問題に直面するのは確実。
どう乗り切るかが試される、金とか人では解決できない、おもしろい局面になってきた。
そういう方向で。
http://www.nikkei.co.jp/mj/
2015年1月6日火曜日
花凛ちゃんギャラリー 2015-01-05
花凛ちゃんは、お正月にお年玉代わりにもらった キティちゃんのリュックがお気に入り。
今日は、多聞くんのスイミングの日だったけれど、リュックを持っていくと駄々をこね、
リュックを背負ったまま、抱っこ紐の中に収納されるという、アクロバットなことをしたらしい。
中には、お気に入りの絵本が入っており、それを出したり入れたりしている。
とりあえず、キャリーバックとともに記念撮影してみる。
ちなみに、たもんくんは、YouTubeにはまっているようで
英語だろうが、日本語だろうが、おもちゃの紹介ならなんでも見ている。
甥っ子たちとは、またちがった世代のデジタルネイティブの子供なってしまいそうだ。
若い世代は、ガジェットを直すことのできない「失われた世代」?
http://slashdot.jp/story/15/01/05/0950223/
とかいうニュースをみるけれど、
僕らは、火のおこし方を知らないし、炊飯器以外でご飯を炊く方法も、アウトドアが好きな人以外は知らない。
時代とともに必要とされる知識が違ってくるので、僕が持っている知識が、違う世代で有用かどうかは、わからない。
といったところだろう。
「生徒のスマホ中毒を教師が受け入れる」2015年、テクノロジーがもたらす教育の変化とは
http://www.huffingtonpost.jp/techcrunch-japan/education-technology_b_6414576.html
とかいう記事をタイムリーに読む。
同じ内容のノートを何年も黒板に書き続ける先生もいるような職業柄
一番変化を受け入れない業界のように思える。
そこに何かしらのチャンスがあるように思えた。
そもそも、先生が黒板に教える内容を書いて、黒板の内容を生徒がノートに写すという作業自体、タブレットがあれば必要無い。
メールで送信なり、Webページのアドレスを教えたら、おしまいになる。
じゃーどういうのがいいかといえば、やっぱり先生から生徒の一方通行な情報の流れではなく
双方向な情報の流れになるべきだろう。
さらにいうと、生徒同士の横の流れもできてくる。
となると、先生とか学校のあり方が、めちゃくちゃ変わる。
もしかすると、僕らは歴史的な分岐点に立っているのかもしれない。
そういう方向で。
2015年1月5日月曜日
鹿の王(上) 上橋菜穂子 その1
鹿の王を読み始める。
架空の話で、特に学ぶこととかなさそうだけど、結構みんな線を引いているらしい。
まず、線(ハイライト)を引いているのは
「生き物は皆、病の種を身に潜ませて生きている。身に抱いているそいつに負けなければ生きていられるが、負ければ死ぬ」
昔は脳卒中や結核が、死因の上位を占めていたが、現在ではガンが上位を占めることが多い。
ガンは、いずれかかる病気のような気がするので、まさにこの文章で言う所の 病の種。
常に勝ち続けることはできず、いつか負ける。
それまで勝ち続けることが フィジカル的に生きるということになる。
精神的に生きるということもあるので、いきるだけでも結構難しい。
次に目に付いたのが
「己が己に嘘をつく、その意味を思い続けることができる人だった」
ケンシロウのような どんな窮地でもなぜか生き残ってしまう ラッキーな人が父親のことを思い出す言葉。
この世界では、馬のような動物に乗る種族がいる。
このスーパーラッキーな人は、その鹿に乗るたびに、すまないが、乗せてもらうよといいつつ騎乗する。
鹿には鹿の人生ならぬ鹿生があったはずだけど、それを自分が捻じ曲げ、乗り回していることに関する反省。
これは大人になればなるほど感じることで、いつの間にか、自分を殺して生きることが当たり前のようになる。
これがいいことなのか、悪いことなのかわからないけれど、
己が己に嘘をつくことを認識するのは悪いことではない と上橋菜穂子は言っているようだ。
出てくる人も、程々で、テンポよく読み進めることのできる小説。
鹿の王
http://www.kadokawa.co.jp/sp/2014/shikanoou/
そういう方向で。
架空の話で、特に学ぶこととかなさそうだけど、結構みんな線を引いているらしい。
まず、線(ハイライト)を引いているのは
「生き物は皆、病の種を身に潜ませて生きている。身に抱いているそいつに負けなければ生きていられるが、負ければ死ぬ」
昔は脳卒中や結核が、死因の上位を占めていたが、現在ではガンが上位を占めることが多い。
ガンは、いずれかかる病気のような気がするので、まさにこの文章で言う所の 病の種。
常に勝ち続けることはできず、いつか負ける。
それまで勝ち続けることが フィジカル的に生きるということになる。
精神的に生きるということもあるので、いきるだけでも結構難しい。
次に目に付いたのが
「己が己に嘘をつく、その意味を思い続けることができる人だった」
ケンシロウのような どんな窮地でもなぜか生き残ってしまう ラッキーな人が父親のことを思い出す言葉。
この世界では、馬のような動物に乗る種族がいる。
このスーパーラッキーな人は、その鹿に乗るたびに、すまないが、乗せてもらうよといいつつ騎乗する。
鹿には鹿の人生ならぬ鹿生があったはずだけど、それを自分が捻じ曲げ、乗り回していることに関する反省。
これは大人になればなるほど感じることで、いつの間にか、自分を殺して生きることが当たり前のようになる。
これがいいことなのか、悪いことなのかわからないけれど、
己が己に嘘をつくことを認識するのは悪いことではない と上橋菜穂子は言っているようだ。
出てくる人も、程々で、テンポよく読み進めることのできる小説。
鹿の王
http://www.kadokawa.co.jp/sp/2014/shikanoou/
そういう方向で。
2015年1月3日土曜日
プラレール博 2015
今日は、待ちに待ったプラレール博の日。
お年玉で、何を買うかを1か月前から考えていた。
その考えをついに実行できる時が来た。
ということで、北大阪急行に乗って行く。
今日は、おにぃちゃんたちも一緒に行くことになっているので、桃山台で待ち合わせ。
おにぃちゃんたちは、プラレールとか電車とかには全く興味がないけれど、
「多聞くんのお世話をしたい」という気持ちと、たまたまプラレール博のチケットが当たったために参加。
いつもどおりATCにニュートラムに乗って到着。
「ニュートラムに運転手かいるかどうか見てきて!」
と言ってみてきてもらったが、
「いない」とのこと。
「運転手おらんのに誰が運転するねん?」
と聞いたところ
「自動なんと違う」
とつれない答え。
たもんくんのように
「わーからなーい」
と言ってくれた方が、また救いがある。
プラレール博は、やっぱり多聞くんぐらいの子供たちがたくさんいる。
しかし、興味の度合いは様々で、特に入れ込んでいない子を無理やり連れまわしているお父さんのような人もいたり、なかなか興味深い。
多聞くんはレイアウトの前で立ち止まり、10分、15分眺めるのは当たり前。
何を見ているのかはわからないけれど、とにかく、その場でじっとして眺めていた。
そして、今回は、初めて有料アトラクションにも参加してみる。
今回は プラレール釣り。
1分間に、どれだけプラレールを釣れるかを競うアトラクションだ。
ちなみに、何台釣っても、もらえるのは1台だけなので、頑張っても仕方がない。
と思うのは早計で、期間を通して、最も多くのプラレールを釣ったお友達には かがやき+レールセットの定価5000円のプラレールセットがもらえるのだ。
この景品で、おにぃちゃんたちはやる気に火がついたみたいで、闘志を燃やしていた。
結果は、5台と7台とこの時点での最高記録の11台には遥か及ばない台数だった。
特に何でもないゲームだったのだが、本気で悔しがっていた。
次の、トミカ釣りでリベンジするように促しておく。
そして、多聞くんお待ちかねの お年玉を使ってプラレールを買う。
ターゲットは、E5系はやぶさとE6系こまちの連結セット。
これをソッコーで見つけて、レジに行く。
お年玉をほとんど全部使って、ご購入。
満足感たっぷりの 正月だった。
ちなみに、僕の正月休みは、休みなどなく、ほとんどアクティブに動いていた。
ということで、この日も9時間睡眠しても疲れが取れず、次の日、だらだら会社に行くのでした。
そういう方向で。
2015年1月2日金曜日
千里丘に行く
今日は、千里丘に行く。
いつも通りのメンバーで、ぼちぼちやる。
ジェンガがあったので、ジェンガで あそんでみる。
こういうシンプルなおもちゃの方が、いろいろな遊びを考えることができるよな。
多聞くんは、お年玉と一緒に、ラジコンカー、
かりんちゃんは、キティちゃんのリュックをもらう。
どちらもかなりお気に入りのようで、家に帰ってきて、
多聞くんは、勝手にパッケージを開けて、遊びだし、
花凛ちゃんは、背負わせてくれと、寄ってくる。
花凛ちゃんは、好きな服が決まっているようで、その服ばっかり着ようとしたり
明らかに多聞くんとは違う趣向を持っているようだ。
キティちゃんもすごく好きなようで、リュックを背負って、キャリーバックを転がしながらその辺を歩き回っている。
恐ろしく大きな荷物を抱えているというか抱えられているようで、リュックとキャリーバックの中にオムツと着替えを入れたら3、4日滞在できそうなスケールだ。
そういう方向で。
2015年1月1日木曜日
お正月
今日は高槻にて親戚一同集まる。
相変わらず、よくはしゃぐ。
このままでは、2、3年後には、家が破壊されることだろう。
そうしているうちに、正月らしく凧揚げに行くことになる。
その辺では凧揚げできないため、淀川の河川敷まで車で遠征。
花凛ちゃん以外の子供たちが、みんないなくなり静かになる。
子供がいなくて、静かな午後と思っていたら、チラチラ降っていた雪が、牡丹雪になり豪快に降り始める。
そして、なぜか積もり始める。
20年ほど住んでいて、積もったことなど数えるほどしかなかったけれど、
その数えるほどの中でも記憶にないぐらい積もる。
このままでは豊中に帰れなくなると判断し、多聞くんが凧揚げから帰り次第、バスで帰ることに。
バスは、一応きたけれど、いつもの1/10ぐらいのスピードでノロノロはしる。
大きな坂道の前では大渋滞が起こっており、おそらく事故っていると予想される。
どうにか高槻駅につき、JRに乗って帰ると、茨木ぐらいでほとんど積もっておらず、高槻との差に唖然とする。
ちょっと何かが違うだけで、えらい違うものだ。
そういう方向で。
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